254.蒼いラビリンス
その間に、貴子夫人を使者に、ばあやを通して会長は手を回して来た。貴子夫人の予想に反して、ばあやは夫人との対面を自分一人で受け持ち、エヴァ夫人と私との対面を、頑として聞き入れなかった。
「――ぼっちゃまが江川家の跡をお継ぎになると決めたのなら、私はぼっちゃまの跡をついて行くだけです。もちろん、奥様は、江川家にはお入りにならないでしょう。はい、奥様は私にきっぱりと仰いました。『……もし、俊美が自分の野心を最優先にして葵を棄てるなら、私も俊美との縁を切って葵と二人海外にでも行って暮らすわ。あなたが里純同様、俊美について行くように、私も何を取って何を切り捨てるか、とうに覚悟は出来ているわ』と」
「……何故? そんなにまでして彼女は、息子より葵さんと取ると言うのかしら?」
「奥様の母としての賭けでございます。愛しみ信じて育てて来たご自分の息子さんが本物であったか」
「わからないわ」
「奥様は、ぼっちゃまを支配者に成されることなど、少しも望んではおられなかった。奥様の願いは、里純様のように何の報酬も求められない、ただ一人の女性を守り切る殿方に成って欲しかったのです。お二人が仲睦まじくおとぎ話をしてらした姿が、思い起こされます。里純様は、奥様のお腹を擦りながら仰っておられました。『……やがて、何時か、お伽話がお伽話として一笑に付されることの無いような世の中になってくれたら……』奥様は自信を持ってお答えになられました。『きっと、この子を、そうした王子様に育てて見せるわ』」
「……どうしてかしら? 何がいけないと言うのかしら? 里子は憐れな娘です。里子を守ってあげて欲しいのです。葵さんは気丈な娘さんのようですし、俊美なら、二人の女性を幸福にすることも出来るでしょうに」
「あなたにはお解かりに頂けないでしょう。里子様に傷つけられたぼっちゃまは、それまで順調だったご成長も途絶えさせられるほど打ちのめされた毎日だったのです。……自殺も多分お考えになられたこともあるでしょう。外にお出になるようになりましたものの、氷のような方になられまして、どんなに可愛らしいお嬢様方に取り巻かれても、誰にもお心を開かなかったのでございます。神経質に成り過ぎた一時期は、お帰りになるなりシャワーを浴びて、脱ぎ捨てた服に染み付いた匂いを直ちに消すよう命じられて。学校でお嬢様方に厳しい目を光らせていたのは、みんな里子様への復讐だったのでございます」
「……憎んでいたと言うの? 俊美はずっと」